■「劇団バンタムクラスステージ」profile.
バンタムクラスステージは、
 
「ハイテンポな会話劇」
「アクション映画のような物語とディティール」
「鮮やかな場面転換」
 
を見所とし、あくまでもエンターテインメントとしての演劇をお届けすることを心掛けています。
2000年、大阪にてプロデュース団体として旗揚げ。
「ルルドの森(再)」(09)、「とはずがたりのマリア」(10)が大阪市主催・芸術創造館ステップシアターに選出、つづく「ジャック・モーメント」(11)が大阪市主催・芸創セレクションに選出された。
初の東京公演となる「短編集・エドゥアルド・ウルリヒ教授の鎮痛剤/他」(11)が第23回池袋演劇祭「優秀賞」受賞。
 
2013年より拠点を東京に移転し劇団として再出発。
黄金のコメディフェス2014参加作品「シャンタンスープ」が優秀演出賞受賞。
同2015参加作品「クロッシング・ハニーズ」が最優秀演出賞ほかを受賞。
また、主演の福地教光が最優秀俳優賞を受賞した。
 
2017年、個々の活動の為、劇団を再びプロデュース団体に戻し、今後も公演を続けていく所存。


■公演履歴

◎旗揚げ公演「風を継ぐ者」
2000年7月(プラネットステーション)

◎第二回公演「寄辺無者/アンタッチャブル」
2001年4月(シアトリカル應典院)

◎第三回公演「斬り木偶」
2001年7月(プラネットステーション)

◎第四回公演「花魁の首」 2002年5月(プラネットステーション)

◎第五回公演「ルルドの森」
2008年6月(ロクソドンタブラック)

◎第六回公演「ルルドの森(再)」
2009年2月(芸術創造館)

◎第七回公演「とはずがたりのマリア」
2010年3月(芸術創造館)

◎第八回公演「ジャック・モーメント/宴のあと」
2011年2月(芸術創造館)

◎第23回池袋演劇祭参加公演「短編集・エドゥアルド・ウルリヒ教授の鎮痛剤/他」
 2011年9月(シアターKASSAI) 優秀作品賞受賞

◎第九回公演「洗礼者の接吻」 2012年4月(ABCホール)

◎中之島春の文化祭2012参加「几帳面独白道化師」
2012年5月(ABCホール)

◎LINX’04参加公演「ジャガーノート」
2012年5月(インディペントシアター2st)

◎第24回池袋演劇祭・招待公演「ルルドの森」 2012年9月(イーストステージいけぶくろ)

◎プロデュース公演「短編集・几帳面独白道化師」 2013年1月(十三BLACKBOXX)

◎第10回公演「CXXX:PIEDPIPERS  ハーメルンの記憶」 2013年3月(世界舘)

◎第11回公演「クロッシング・クリスマス・クリアランス」 2013年12月(シアターKASSAI)

◎第12回公演「JACK-MOMENT」 2014年3月(萬劇場)

◎劇団6番シード×バンタムクラスステージ コラボ公演「夏のショートストーリーズ」
 2014年8月(シアターKASSAI)

◎黄金のコメディフェス2014参加公演「シャンタンスープ」
 2014年9月(シアター風姿花伝) 優秀演出賞受賞

第13回公演「かべぎわのカレンダリオ」
2015年5月(シアターKASSAI)

第14回公演「 ルルドの森(平成28年版) forest of Lourdes /edition2016.」
2016年2月(シアターKASSAI)

◎バンタムクラスステージ番外公演・短編集2016「 THE SHORT CUTs SEVEN. /バンタムクラスステージによる七つの物語」
2016年9月(高円寺アトリエファンファーレ)
◎バンタムクラスステージ2018公演「 クロッシング・クリスマス・クリアランス(完全版)」
2018年12月(新宿村LIVE)

この稿は、代表・細川博司が東京に移住して間もなく、
2013年の夏に収録されたものです。
同年12月の東京進出初公演に向けて準備中だった細川の、
時の心境をつづったインタビューをご覧ください。

【ベタな理由】
──関西で既に評価を得ているバンタムクラスステージが、2013年春東京へ拠点を移したその理由は何ですか?
細 なんだかんだ言ってもやっぱり文化・芸術・エンターテイメントの中心ってすごくベタなこと言いますけど、東京なんです。どうしてもそこで試したいという欲求が出て来て、今年僕40歳なんですけどもうそろそろ人生半分終わってるはずなんで、残りの人生で何やるか。“安定する”っていっても今、ちゃんとした職業についているわけでもないし。この世界で行くしかないわけですよ。そうなると、よしじゃあ東京へ行くというひとつの勝負に出ようと。
──拠点を移せば皆さんの仕事にも影響するし大変なことですよね
細 でもむしろ劇団員の福地教光なんかは逆に東京行かへんかったら辞めるよと。なんかやっぱり刺激を求めているというか、何か大阪に行くのとは別のかたちのチャンス、まあ夢をみているわけですよ。お前アホやなと言われても全然しょうがない(笑)。

【“編集”の映像から“役者中心”の演劇へ】
──細川さんは映画から演劇に入って来られましたが、映像とお芝居の違いは何でしょうか?

細  演劇って言うのは、僕は“役者が中心”だと考えています。 演劇は頭から最後まで台本通りに順を追って通すんですよね。 映像は、例えば一番最後のカットを撮ったあと最初のカットを撮ったりするわけです。 つまり編集という作業が入ってくるので、 “ディレクションする側にどうしても主導権が偏る”わけです。 それはそれで面白さがある。 役者に対して「ちょっとあの壁のシミ見ながらぼーっとしてもらっていいですか」って言って それをうまいこと挿入したら「メチャメチャいい表情してるやん」みたいな…(笑)。 そういうコラージュの技術が映像だと思うんですよ。
 演劇は編集が出来ない、その時ほんとにその場に行かなきゃその回は見れない。 同じ芝居を次の日に観に行っても芝居って変わる。 そこの違いは大きい。
 僕は今演劇ばっかりやってますけど、お客として観てるのは映画の方なんですよ。 演劇(と向き合う)ってパワーが要る、今日しんどいなと思う日は映画を観ますね。
──映画を撮ってたのに、そのしんどい方の演劇を選んだのは何故ですか?
細  いやー、人生ってわかんないっすよね、なんか流れっていうか…。 大きな理由は、僕、映画も撮ってたんですけど 演劇の方が世間のリアクションが大きかったんですよ。 僕は映画が好き過ぎて、明らかに映画を撮るとちょっとこじんまりするんですけど お芝居をやると、あんまり、ちゃんと芝居のことわかってないから 「え?何その表現」、「演劇ってそんなことするの?」っていうようなことを 知らずにやってた、そこを面白がってもらった、っていうのがありましたね。
──それはどんなことですか?
細  うーん、よくわかんないです…。 でもまあ、すごく場面転換が早いとか…。
──あ、場転見せますもんね、暗転しないで
細  そうですね、あれは苦肉の策なんですね。 脚本書くときに好き放題書くわけですよ、もう何も気にせんと(笑)。( 場面転換とか)どうすんのこれ、みたいな(笑)。
──あははは・・・
細  で、辿り着いたのが、セット作らない、パイプ椅子と役者の身ぶり手ぶりだけでやる。 僕の作品は大体が現代の日本の話ですけど、 1960年代のシカゴとか、上海の話もやったんです。 全部パイプ椅子だけで、後は椅子の配置と演技の所作だけで、そう見えるという風に。 それだと場転も早いし。
結構、映像出身の演出家の人ってセットを作り込む人が多いらしいですけど。( 僕は逆で、)そういうところが面白かったのかな…。

【ハケる理由を考えられない】
細 僕は「一場もの」(ここでは舞台背景が変化しない作品を差す)とか書けないです。あれ書ける人すごいなと思うんですよ。おうちのセット組んで、なんかいろんな人たちが入れ替わり立ち替わり…。
──「渡る世間…」みたいな?(笑)
細 あははは…、まあそういう芝居で面白いのを書ける人ってすごいなと。大体あの、役目を終えた役者が席をはずすじゃないですか。その理由を考えられないんですね。「じゃあ、俺買い出しに行って来るわ」みたいな(笑)。
──あははは…買い出し(笑)
細 やけに買い出しが長いな、とか、すぐ帰って来たなとか(笑)。「おれちょっと大阪行ってくるわ」なんて(笑)。
──唐突な行動…(笑)
細 そういうのが思いつかないんで、上手い人はすごく上手いんです。出て行く理由が上手い。ちょっと二階行くわ、とか、なんか忘れたもん取りに来たりとか。
──出ハケが自然なんですね
細 そうそう。

【チャンバラからガンアクションへ】
──細川さんの作品に銃が出て来るのは何かきっかけがあったんですか?
細 あれはね、もともと最初はチャンバラのお芝居を書いてたんですよ。
──へぇ!チャンバラ!
細 なかなか僕がイメージするチャンバラをやろうとすると、結構殺陣が大変で3ヵ月とかの稽古期間では出来ない。
 たとえばチャンバラのインストラクターの人に役者の指導をしてもらって、ついでに出てもらったりするでしょ、するとどんな役をやってもですね、誰が見ても「こいつ一番強そうやん!」って奴があっさり殺られることになって…(笑)。
──誰よりも強そうなのにすぐ死ぬ(笑)。細川さんが好きな立ち回りをする役者さんって誰ですか?
細 僕は一番好きなのは原田芳雄さんの「浪人街」っていう映画なんです。踊りみたいな立ち回りってあるじゃないですか、でも僕が好きなのはリアルな立ち回りで。ヤバいと思ったらもう背中からでも何でも斬りかかるような型とかむちゃくちゃのリアルな立ち回りが好きなんですよ。
 でもそれって逆に力量が無いとできない。だけど作品の中にそういうアクション部分をどうしても入れたかった。ずっと会話の劇って眠たくなるんで。何かちょっとその、今、目を覚ませ!みたいな(笑)。(力量が足りないので)それでチャンバラは難しいなと思った。
 で、ガンアクションって割と簡単に出来る、チャンバラよりは。俺でも教えられるし。で、ガンアクションに変えたんです。
──何としてでも死なねばならぬと?

 あははは…。死なねばならぬというか…あの、「花」があるんですよ。バーン!て撃って…そういうのがないとね(笑)。
 最近はでも、ピストル出すけど撃たへんとか、そういうお芝居も作れなあかんし。撃つぞ撃つぞって言いながら結局撃たへん。その代わり撃たへんのにめちゃくちゃ怖い。結局撃ってバーン!ってやって怖がらせるんじゃなくて、そんなん誰でも出来るから。俺は撃たずに怖がらせるぞと。ギリギリまで口喧嘩みたいになって、銃を向け合って、どんどん高まっていってわーわーやだやだ…みたいになっていって、そこから撃たずに終わる、というような。それは最近やってますね。いずれ死ななければならないんですが。
──あっはっはっは…いずれは死ぬが今じゃないと
 今やっとそれがわかってきた感じ。 以前はめちゃくちゃ撃ちました( 笑)。

【皆殺しじゃない!ハッピーエンドだ!】
細 でも大分最近の作品は優しくなったって言われます。
──優しくなった、昔はどうだったんですか?
細 僕ね、“人生は散って初めてかたちになる”もんやと思ってるんですよ。誰かが「人間は死んでかたちになる」って言ったのが残っていてどうしても人が死ぬんで、「お前、皆殺しか」って言われるんですけどね…そういうことじゃない!(笑)。
──あははは・・・
細 昔はもっと下手くそやったから、今も下手くそですけど、もっとなんか、ほんまに理不尽に見えたんじゃないかと思います。「ルルドの森」(2004年初演・2012年9月東京再演)も相当ひどいって言われましたもん。
 あれは僕の中ではすごいハッピーエンドだったんですよ。「は?」「何言うてんの?」って言われました。
──「ハーメルンの記憶」(2013年3月大阪)もハッピーエンドだと書いていますね
細 「ハーメルン」はもうハッピーエンドです。でもね、意外と「ルルドの森」よりひどかったんですよ。ちょっと描き方を変えたんです。ひどいこと起こってるけど、どこを切り取るかで印象って変わるじゃないですか。すごいひどいことが行われているんですけど、ちょっと切り取り方を優しくしたっていうか。
 ひどい話だし、かなり人死んでるんですけど「優しい作品やったね」って言われるんです。「はは~ん、そういうことか…」って(笑)。
──“見せ方”か…と(笑)

【死ぬことは“花”】
──先程死んでかたちになる、死ぬことは“花”と仰っていましたが…
細 はい、花なんです。
──生きるよりも死ぬ方が花?
細 バランス取ってるんですよ。そこでその人が抜けることによって周囲の社会がどうなるか、とか、生き残った奴の方が悲惨な目に遭ったりする、あそこで死んでたら良かったのにと。そういう人生の皮肉とか。
 だから死=悲劇っていうのを覆したいんですよ。「まだまだめっちゃ俺、言いたい事があるねん」っていう奴が死ぬ。
──そういう「言いたい事がめっちゃある奴が死ぬ」「志半ばで人は死ぬ」それってどういう所から来てるんですか? 若いころからの思考ですか?
 どうなんでしょうかねぇ、別に若い時に身近な人が死んだとかそういうの特に無いんですよ。ただ子どもの時に結構、病気したりとか。
──あ、そうなんですか
細 うん、そんなことがあって、健やかに普通の状況って俺にとっては不安なんですよ。大丈夫かな、何も問題無いけど大丈夫かなって。ちょっと問題ある時の方が何か安心するんですよね。そういうのはあるかもしれないです。
 俺、こんなうまいこと行っててほんまに大丈夫か、実はヤバいちゃうんかな、っていう感じ。最近、けっこう僕の作品を理解してくれる人やファンが増えたっていうのは(地元の)神戸の震災とか東日本大震災とか「無いやろ」と思ってたことがあり得る、そういう不安みたいなものがある時代にタイムリーなのかなと思いますね。

【自分の仕事はサービス業】
──そういう作風は作品第1号からですか
細 いや、最初はもっとぼやっとしたものでした。テーマとかってあまりなかったし。あんまりきれいなことは書く気なかったんですよ。だんだん何作か書いてるうちに、俺はこうなんやと。いろんな人が評論とかしてくれて、なるほど、俺よりわかってくれてるわと(笑)。
──あははは…

 1回しか観てへんのになんでそんな分析できるねんって。 俺そこまで考えてたっけ、みたいな( 笑)。 なんかそうやってだんだんと( 笑)。 俺はこういうことを書きたいらしい、とわかって来た。
 でもあんまりテーマ、テーマって思わないようにしてるんです。 自分のやってることはサービス業やと思ってるんで、 面白い、怖がらせたい、ドキドキさせたい、 「お楽しみいただけましたか、じゃあ僕の言いたい事もちょっと聞いてね」みたいな。 つまり話の面白い校長先生になりたいんですね( 笑)。
 で、ただ面白かっただけではなくて「あれはああだよね」「これはこうだよね」って 何かお土産を持って帰って欲しい。
──1回観ただけではわからないものを書きたいとブログでも仰ってますよね
 そうですね。 けっこうね、有難いことに6回演れば6回観に来て下さる方がいるんですよ。 俺は6回観ても楽しめる物を書かなければいけないんで( 笑)。
──プレッシャーが( 笑)
 だから2回目に観た時に「あ、ちゃんと伏線張ってた」とかわかるようにする。 台詞が全然変わって聞こえるとか、そんな細かいことやってたんやとか、 “1回観たくらいでわかったつもりにさせないぞ!”みたいな( 笑)。
 お陰様で結構リピーターが多いんですよ、 面白かったんだけど、ちょっと意味わかんなかったんでって。 普通わからんかったら「何や、これ」って放っておくじゃないですか。
──わかりたいんだ
 そうですね。テーマとかがあんまり際立ってもあかんけど、深く理解したい人に対してちゃんと誠意ある解答が出来るように創ろうとしています。
──根がまじめですよね
細  そうなんですよ、自分でもしんどいです( 笑)。

【まずは役者】
──ずっと同じ役者を使い続けるのは嫌、と仰ってましたが、役者が人を呼ぶということもあるわけで、その辺は書く側としていかがですか?

 そうですね、どうしてもやっぱり劇団員に、次はどんな役をやらせようかと考えます。ちょっと制約がある方がいいんですね。何もかも自由というのは意外と手のつけようがないというか。よし、じゃあこの時代のこの舞台であいつにこの役をやらせよう、みたいなことが骨組みになるところがあるんで。
 ただ同じ10人の役者がずっとそのまんま続く、みたいなのはちょっとしんどいですね。1人2人、5人くらいまでなら回せるんですけどね。逆に脇役しか回って来ないあいつに主役やらせてみよう、みたいなことも。お芝居ってやっぱり観たい役者を観に来るもんであって、作・演出っていうのは役者を良く見せるためのものだと思うんです。まずは役者。役者を通して僕の作品を好きになってくれたら、それは嬉しい。役者を観てください、と言いたいですね。

【ラストシーンから書き始める】
──ラストシーンから書き始める、とブログに書いていらっしゃいますがそれはどうして?
細 絶対そこに収まる重力になるからです。
──それもまた制約のひとつ?
細 制約のひとつです。ラストが決まってると、わーっと話が広がってもそこへ戻って行ける。「脚本がなかなか書き始められない」とか「解決させられないんです」っていう人がいるんですけど、頭から順番に書いていくと自分がどこにいるのか絶対わからなくなる。ラストがわかってると、今1時間、今90分目ってわかるようになる。そのためにラストを先に決める、そうすると何があってもそこへ戻れる。
 ラスト書かずにうっかり書きすすめちゃうとすごい悩みます。公演3週間前だ、ラストどうしよう…って。
──決めたらラストは絶対変えない?
細 多少整合性みたいのを取るために(細部を)変えることはありますが、基本は変えないです。
──最初からそういう書き方だったんですか?
細 いや、それはここ2~3年だと思います。
──ではここ2~3年で書き方とか、スタイルとか、趣味嗜好が…(笑)
細 趣味嗜好が(笑)。そうですね、ここ2~3年で僕大分伸びましたね、ははは…。

【それでも誰かの人生は続く】
──人が死んで“それでも誰かの人生は続く”っていうのが書きたいと仰っていますが

細  そうですね、皆で手をつないで平等にゴールするとかいうの嫌いで、 人間やっぱり生物やし、そこには競争っていうものがある。だから人生面白いし、失敗したり成功したりしても、それは広い世界のほんの一部であって、他の人の人生は続いて行く。僕の書く物が世界そのものを表現しきれるわけではないし、それはほんの一部に過ぎない。
──そういうところが細川さんクールですよね。 自分の世界が全てではなくて、ここに関わらない人が世界には山のようにいるという…
細  そうそう、そうですね。 「クール」って言われたの何年ぶりやろ?(笑)。
 結構、「世界そのもの」を作品に入れ込むっていう人は多いと思うんですけど、それはそれで面白いんですけどね、上手い人はいっぱいいるし。ただ俺は違うなと思ってます。


インタビューを終えて
柔らかくユーモアたっぷりに語りながら、律義な真面目さが伝わってくる。
“死ぬことは花”と言いつつ、死んで行く人間に強力なスポットライトを当てる。
死のプロセスをことさら見せるのは、途絶えた生と無念の思いを浮び上らせたいから。
謙虚でクールだけれど、そのまなざしには強い覚悟がのぞく。
東京に拠点を移しての第1弾、どんな作品を見せてくれるのかとても待遠しい。
銃声一発、またひとり誰かの人生に“花”を添えてくれるにちがいない。

2013年夏 西東 みどり